*旅中にPCが壊れたため、下書き保存したまま忘れていた記事がありました。今更ですが、旅の記録としてアップします。
2016年1月12〜14日
地球の裏側で日本語が聞けるとは!
しかも、スーパーや商店では日本の見慣れた食材。
レストランでは日本食。
お米は甘くてモチモチしてて美味しい!
10ヶ月ぶりの日本の米だぁ〜!!!
パラグアイのジャングルを切り拓いた村なので雰囲気は日本とは言えないが、家は日本の近代的な建物に近い。
ペンション園田さん
そのお隣にある園田さんのお店のお弁当
レストランシラサワさんのちゃんぽん麺、冷やし中華、餃子
福岡旅館さんではカレーうどんと冷やしうどん!しかもとっても美味しい冷凍マンゴーをサービス(^_^)日本茶もサービス!
農協では素麺やオクラや本出汁、
商店のだるまさんでは納豆や山菜やサンマの缶詰、
道端に落ちているでっかいマンゴーを拾って食べる。
品種改良されたでっかいマンゴーは本当に美味い!
小さなマンゴーは品種改良されていない天然ものらしいので、繊維が多く、人によっては痒くなるらしい。
移住史料館「イグアス日本 匠センター」で園田さんから貴重なお話をたっぷりと伺う。1.5時間くらい聞かせてもらったが、楽しくて、興味深くて、飽きることは無い。
ここはカトリックなので日本人も土葬(現在は自由が認められてます)
快適なペンション園田さん。
気温はめちゃめちゃに暑いし、どうやら南米は50年ぶりの異常気象らしく、雨がかなり多いらしい。
そのせいで南米の北部は蚊が大量に発生。
ブラジルではデング熱・ジカ熱の被害が結構深刻らしいので気を付けなければ。
パラグアイには幾つか日本人が移住している村や町があり、ここイグアス移住地は市に昇格した程の大きな移住地。
移住の歴史は古くは第二次大戦前から始まり、大戦中に一時休止状態になるも、戦後また移住が始まった。
今でも移住は続いている。
農業目的で移住するのは難しいらしいが、何か特別な技能を持った人なら大歓迎だし、生活していける可能性は高いらしい。
パラグアイは世界第5位の大豆輸出大国だが、その大豆を持ち込んだのは日本人。
また、東日本大震災の時に東北に移住地から沢山の大豆を救援物資として届けてくれた。
少数の日本人がパラグアイの農業に与えた、または進行形で与えている影響は相当に大きい。
日本から遠く離れた地球の裏側で、決して裕福で豪勢とは言えないが日本人が生活し、大活躍し、日本の文化を守り、日本を助けてくれていることを知ることができ、うれしくなった。
彼らはこの日本人コミュニティがさらに発展することを望んでるし、努力しているし、発展しなければいずれ消滅してしまうことも知ってる。
日本政府やJICA等の協力が少なくなっているが、彼等なりにどのように発展させていくか考えている。
2世、3世と世代は進んでいき、彼等は学校を出ると4ヶ国語が話せるようになる。
日本語、スペイン語、ポルトガル語とパラグアイの先住民族の言語グアラニー語。
こういう優秀な若者が日本で活躍することを願っているし、日本人がスペイン語等を学ぶための教育施設として移住地が活用されることも視野に入れているらしい。
パラグアイに大きな影響を与え、パラグアイと共に生きている逞しい日本人に会うことができ、身が引き締まりました。
日本に帰ったら僕も頑張らねば!!
次は世界三大瀑布の1つ、ブラジルのイグアスの滝に向かいます。
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