今日2015年8月27日

実家で一緒に生活していた犬の小太郎が亡くなりました。

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ちょっと柴犬に近い雑種の小太郎。本当にどこにでもいるような、何なら野良犬のような。でも、毛並みが綺麗で顔も凛々しい。

おしりの穴もキレイ。

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実家に来てから約15年。

殺処分待ちだった犬達をボランティアの人達が譲り受け、飼い主を探していたところ、両親と妹が譲り受けた。

他の犬達は人を見ると寄ってきて楽しそうにしていたらしいのですが、

小太郎だけは隅っこで怯えていたらしい。

妹が小太郎を気に入り、それから一緒に暮らすようになった。

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もちろんしゃべれないし、血はつながっていないけれども間違い無く家族の一員でした。

僕は仕事のために実家を10年前に出てしまったので、一緒にいる時間は短かったけれども

ひどく臆病だったり、人付き合いが苦手なところが僕に似ていたので、つながりを強く感じていました。

小太郎の様な犬を見かけると何か心が和むし、目で追ってしまう。

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でも、もちろん世話をするのは大変で、散歩やうんちを片付けたりするのをめんどくさがっていたし、離れている時間が長すぎたので、

もう思い出になってしまった小太郎を思い出すとつらいし、最期を見届けられなかったのは悲しいけれど、

考えないようにすれば明るく過ごせる。

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だから15年間、ずっと小太郎の面倒を見続けた両親の悲しみは想像できない。

雨の日も欠かさずに散歩に連れて行き、小太郎のために旅行にも行かずに家を空けることは無かった。

特に、僕等兄弟が全員家を出てからは小太郎が生活の中心だったかもしれない。

 

元気だった頃は外から聞こえる足音や車の音を聞いただけで家族が帰ってきたことを察知して玄関まで迎えに出たり、

僕が帰ってくると激しくじゃれてきたりした。そのおかげで両腕のミミズ腫れが絶えなかった。

最近は歳を取り過ぎて若い頃の元気は無くなっていたし、足や身体もちょっとずつ力強さが無くなっていたし、毛も白くなってきていたけれども、

この旅を始める前は、少なくとも帰ってくるまでは大丈夫だろうなって思っていました。

 

小太郎は15年間、尾野家に来て、両親と一緒に暮らせて本当に幸せで穏やかに暮らせたと思います。

最期も老衰のために穏やかだったと聞いています。

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亡くなる4日前から歩け無くなり、6時間前に何かたくさん喋って、たぶん最後の言葉を残したのだと思う。

小太郎のご冥福と、両親がこれからも元気でいてくれることを願っています。

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妻も日本を出てからずっと「日本に帰ったら犬を飼いたい」と言っている。

大変だけれども、いつかまた小太郎と同じような犬と生活できたらなと思います。